ice cream

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用意されたベッドに着くと、言われるままにゼフォンは横になった。これは相当にまいっているのかもしれない。
「悪魔でも酔ったりするんですね」
頭上から落ちてくる物珍しさがまさった声を、ゼフォンは芳醇なワインの香りがする吐息で散らした。
「酔ってはいません」
「酔ってる人ほどそう言うと聞きましたが、どうやら本当みたいですね」
笑ってベッドから離れていこうとするイシュリエルの腕が、緩やかな抵抗に留められた。指で軽く触れるだけの、誘惑には遠い悪魔の制止に足がとまる。
「本当に酔っていませんから」
ベッドから起きようとするゼフォンを見ても、薄明かりのもとでは酔っているかどうかなど判然としない。それこそ悪魔並みの視力でもないと、夜の闇の中で行動を起こすのは無理かもしれない。かといってこの人放っておいたら何するか分かったものじゃないし・・・
さっきの、司祭様達の怯えようも気になる。
「もしかしてゼフォン、あなた既に何かやらかしたんじゃ」
「何か、歌ってくれませんか?」
「え、」
隙もなく伸ばされたゼフォンの両腕が思案を断って細腰に絡んだ。一瞬の出来事に反応できず、よく見えるな、と変な驚きを抱きながらシェラの体は枕元に着地した。

クッションと枕でふかふかになった壁際に背中を預けると、ゼフォンが胸元へ倒れてくるのがおぼろげに見え、直後
軽い衝撃が二人とベッドを揺らした。
「・・・・・・すみません加減を誤りました」
ゼフォンが仰向けのまま、ぼそりと謝った。
やはり悪魔も酔ったりするのかもしれない。瞬きの合間に、本気で渋面を作っていそうなゼフォンを視て、噴出すように一つ笑うとイシュリエルはしばし笑うに任せた。悪魔が謝ってるなんて調子狂いますよ面白いうわぁ何ですかそれ、と笑い続ける振動が、たぶん胸の上の重石にもろに伝わっている。
いつのまにか肩口に額を乗せて、下を向いている。
細かい表情までは読み取れない。けれど、不機嫌そうにゼフォンの手が長い金髪をもてあそぶ。孤児院の子供がいじけてしまった時のような仕草に、再び笑いそうになるのを堪えた。
ひょっとしたら、酔っているのは自分なのかもしれない。
今日は何事もなかったし、比較的大人しく待っていてくれたのだから少しぐらい甘やかしてあげるべきなのかも。
ああ、でも酒に酔って頭痛がしてるかもしれない相手に自分の声を聞かせて平気なのかな。今日も前列のご婦人が幾人か倒れられたし。
「いいから」
触れ合わせた額から鎖骨へと低い声が伝わる。頭が乗っているあたりから奇妙な熱が広がる。
これは、お酒の所為。それだけ。
割り切らなくちゃ。
「わかりました。近所迷惑になるといけないですから、声量は抑えますよ」
「構いません。じかに聞かせてもらいます」
ゼフォンが少し頭を傾げると、丁度こめかみの辺りが押し付けられるのがわかった。頭痛とか大丈夫ですかと聞こうとして、鎖骨をゆるくたどる指を感じた。
なんだ、全然平気なんじゃないですか。
ほっとしたような、心配して損したような。
ゆっくりと息を整える。

唇を割って出たのは、教会や日曜学校ではほとんど歌われることのない曲だった。異端をうたい、異邦人と、悪魔とを歌った詞の、今はもう廃れて久しい音階を連ねた単純な曲が、天使とも人間ともつかぬ声によって薄闇の空気を震わせる。神に背いた者達に向けられたこの曲は聖歌ではない。ただ、正しく教会に認められた訳ではないけれど、どことなく、祈りの気配を持っている気がした。

教会で歌う時の何十分の一に抑えた天使の歌声に、ゼフォンは静かに目を閉じた。変わらない、と頭のなかで呟く。人間はおろか、天使や神まで魅了し、悪魔をも篭絡するその声音。寄せた身体をつたい来る音律は、天界に居たときにも、同じように腕の中のイシュリエルの存在を伝えた。
今、この空間だけはイシュリエルの支配下にあって、
彼は自分に独占されている。
そんな錯覚に陥る。
温かな心音まじりの振動がひどく心地良い。

そうして不意に沸く愛おしさを確かめるように、服越しに口付ける。
二度、三度と繰り返すうちに、連綿と歌を紡いでいた声が不機嫌に揺れるのがわかった。
面白い。まだ歌っているのが更に面白い。
顔を見なくても半眼になって宙を睨む様が容易に想像できる。

もう少しで転調、直後に終止符。
あと少し悪戯が過ぎたら、即効殴ろう。

流暢に音律を操る頭蓋の中に二つの計画が書きとめられた。
特に、二つ目をしっかりと刻み込む。

テンポを落として最後の小節を歌いきった、放心の刹那が来る。
その隙間を狙って堕天使の唇が、動く。

首筋に落ちた焼けるような口づけに動きが止まった瞬間に、互いの唇が重なった。
ワインと、食べ損ねたアイスクリームの香りをしていた。

「・・・っ」
「有難う」
珍しい言葉に、思考が戻ってこない。
そういえばアイス、ミントの味だったんですね。
・・・って違うでしょう、そういうことではなくて。
戸惑いの間に体の上から重みが失われ、彼はあっさりとベッドから下りてしまった。密着していた部分が外気に触れて、普段なら願ってやまない開放感が身体を冷やす。
そのはず、なんだけど
何だろう、違和感が残る。
夜目に慣れてきた視界にさしこむ細い光を追うと、今にも部屋から出ていこうとする影があった。
言うことなど、特にないのだけれど。
「・・・どう、いたしまして」

「本当に。その無用心さに感謝したくもなるというもので」
「それはどういう」
事ですか、と続けた言葉は厚い扉にさえぎられて届かない。

控えめに一つ残された痕に、翻弄される。
彼はいつも、僕には何一つとして語ってはくれない。
言わなくても知ってると思っているなら、それは勘違いだ。
本当はあなたの事なんてほとんど知らないのに。
何も教えてくれない鬱血一つ相手に、どうしろって言うんですか。

ふぁ、とあくび混じりの吐息が零れる。
今日の公演のせいだろうか、無性に眠かった。
「・・・とりあえず、寝ましょうか」
何も解決してくれない夜でさえ、朝を運んでくれる。
明日は、少し話せるといいな。

[epilogue]


男は、ドアを静かに閉めた後、誰もこの部屋へ向かってくる気配が無いのを確かめて歩き出した。
初めは司祭達の居る部屋へ足を向けていたが、思いついたように立ち止まると階段の方へと行き先を変える。階段の上には、どの屋敷でもそうあるように、粗末な木の扉があった。

使用人の部屋を控えめにノックすると、彼は出てきた者に何事かを話しかけ、使用人が再び部屋の奥へと戻るのを見送った。廊下を照らす蝋燭の光のもとで、男はひどく穏やかな顔で待っていた。
それほど長い時間ではなかったけれど、待たせた事を詫びて、使用人は小さなメモを差し出しながら言った。
「あのデザート、そんなに気に入ったかね?」
私が居たところじゃそう珍しいもんでも無いよ、と言い添える老いた料理番に苦笑して、
アイスクリームのレシピを受け取った男は感謝の言葉を述べた。

fin

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