It's mine!!

novel top

-1-


要所要所に作られた田舎の町というのは意外と人が多く、立ち止まっていると時折肩がぶつかる、はずなのだが
「そのへんの野良犬に噛まれては大変です。一緒に、」
店の売り子の声とは違う、場違いに正しい発音が聞こえてきてびっくりする。
やけに人が接触してこないと思ったら、彼のせいだったなんて。
「・・・何ッであなたがついてくるんですか!」
「イシュ後ろ」
「僕はッ!」
人ごみの中思わず振り返って立ち止まれば、予想以上に急速に近づいた肩口に額がぶつかる。抱き寄せられたと気づいて突き放すより早く、背後に馬車音が近づいてきた。
まさか狙っていたわけではないと思うけれど、あまりのタイミングの良さに困惑したまま、無言で数秒間をやりすごす。
通り抜けていった土埃にむせながら押しのけるように身体を離すと、胸の上に残っていた片手を軽く握られた。見上げれば雑踏の煩さを寄せ付けない恐ろしさを秘めた瞳が僕じゃなくて“彼”を見る。
「ほら、危なかったでしょう?」
だから一緒に、としつこく言い募る堕天使の手を振り払って走り出す。
人違いだ。

馬車の後に出来た細い空間へと逃げていく神父服に黒髪の美青年が追いついたのは、村の東側に作られた簡素な門を出たところだった。
「ああ、まったく面倒な人間ですね・・・神父様、お止まりなさい!」
「あんまり時間ないんです。ですから、謹んで、遠慮いたします!」
黒髪の男が、呆れたような顔で小さくなっていく背中を見つめるその先を、シェラはせっかちに歩いてく。

川へと下る道を30歩も行ったあたりで、睨むような視線で振り向いた。
「一人で行きますから、ついて来ないで下さいね!」
それから、僕の名前それじゃないですから!と言い置いて踵を返す。
この声が届いていようといまいと、気にすることはないんだから。



城門が閉まる夕方までにつかなくてはと頑張って歩いた結果、何とか日のあるうちに街に入ることが出来た。

久しぶりに一人になった気がする。実際は部屋にいる時は一人なのだけれど、最近どうにもそんな気がしなくて困る。やっぱり彼が近くに住んでいると知っているせいだろうか。
表の喧騒を避けて裏道を進んでいくと、
――なーぉ
石畳に捨てられた紙袋の横に、黒い猫がいた。野良らしい。日の当たらない裏通りの上で、彼はグレーの地面によく馴染んでいた。
「あれ?」
ゼフォンと同じ夜色の瞳をしている。
珍しいな、と思いながらしゃがむ。この辺りの猫はだいたい薄い瞳をしているのに。
「おいで」
教会に来た子供に接するときのように笑んで、警戒を解こうとゆっくり近づく。教会ではあまり役には立たないけれど、こういうことにはちょっとした自信がある。
ほら、あと、少し。
そろそろと伸ばした指先が柔らかな毛並みに触れる直前、
あちらから声をかけてきたくせに、するりと逃げてしまった。
まぁ、いいか。
さほどスピードも上げずに走っていく猫の背が、どこかもっと細い隙間へとすり抜けていく。彼らには彼らの道があって、きっとそこへと入って行ったんだ。
それにしても、どうして今日はこんなに暑いんだろう。 見上げた建物の隙間に、眼を射るような明るさの空が見えた。
頭の芯がぼーっとする。
火照った頭に日影の冷えが心地良い気がする。
うずくまったままの姿勢でいると、不意に足音が近づく。
「どうかしたのか?」
後ろから声をかけられた。
振り向いて立ち上がると同時に、思考が止まった。
―――あ、どうしよう
目眩がしたと思った途端、耳の奥で殷々と奇妙な音が鳴り響く。
頭の中をぐるぐると掻き回すような感覚に体を全部持っていかれそうな気がする。

はたと気付くと、ふらついた肩に温かい手が当てられていた。
ゼフォンが後をつけていたに違いない。
あれほど、着いてこないでと言ったのに。
「おい、大丈夫か?」
けれど、路地に吸い込まれた声は知らないものだった。
顔を上げてみると、白を基調とした服が視界に飛び込んでくる。この服は。
無意識に後ずさる自分の足がやけに重たかった。
「ご丁寧に、ありがとうございます」
覚えのある服だ。
どこで見たかなんて、決まってる。
白く重たい布と身体が暗い記憶の中からのしかかってくる。
白い、服。
教会親衛隊のそれだ。

染まった血の色が脳裏に蘇る。

「いや、なぁ・・・・・・お前、聖職者の服を着てるが、何か事情があるのか?」
「・・・いいえ?」
離れなきゃ。
“仕事”のせいで身体に染みついた本能が危機を告げる。
この手の人間は、危険だと。
「あー、そうか。ロクデナシのご亭主に捨てられたとか。それにしても女がそんな格好するとはなぁ」
尋常のこっちゃないぜ、と呟く。
「何を言っているんですか、私は」 「いくらなんでも女が男の服着ちゃいけねぇってのは、知ってるよな?」
親衛隊の男が、シェラもよく知っている教会の教えを口にした。 逆光になってよく見えない顔の陰影が、再び訪れた目眩に歪む。違う、もともと顔が歪んでいる?
「その顔じゃあ無理があるってもんだ。悪いが、確かめさせてもらうぞ」
強く二の腕を引っ張られ壁に押し付けられ、どん、と体中を襲った衝撃に、肺の中に溜まっていた空気が零れた。
隙も与えられずに男の体が密着してくる。

話が読めた。
異性装でないと確かめるためだけに、服を脱がす気だ。
それも僕のことを、男だと、知ったうえでやってる。
悪いだなんて欠片も思っていない。
「止めて、ください」
「教会まで来てもらおうか、それとも、ここで脱ぐか?」
「お仕事に障りを作る訳には行きませんので、僕はこれで」
失礼にならないように、出来るだけ丁寧な口調で応じたけれど、語尾まで声を揺らさないで言いきれた自信がない。表通りに届く声で助けを呼ばなきゃ。

唇を開いて息を吸い込んで、固まってしまった。

―――駄目だ、悲鳴を表に出したら。
この声が教会まで届いたとき、怒られるのは自分だということ。教会のヒエラルキーの中で、孤児あがりの自分が最下層に位置することぐらいは知っている。
―――でも相手は、武器を持ってる。
丸腰で自分を襲った“彼ら”より、もっとたちが悪い。
掴み上げられているせいで、微かに片足が爪先立つ。

「なぁに、これぐらい職業のうちだ。気にすることはないさ。それとも何か証明できるものでも」
あるわけ無いでしょう!この服ぐらいしか思いつきませんよ。それを否定されては大概の聖職者なんて身の証しようがないというのに。
「シスターからお預かりした文書があるのですが・・・」
掴まれたままの肩をかばって睨む。会話で持たせながら相手の様子をうかがえば、体格差で必然的に上目づかいになった。
手紙を探すふりをして、肩にさげた鞄へ、護身用に持ち歩いていたダガーへと手を伸ばした。確か外側の隠しに入っていたはず。
「う、」
あまりに近づきすぎた吐息に吐き気がする。まだ日も高いというのに、酒気が、きつい。気持ち悪い。
熱い気温と一緒になって異常な空気が路地裏に澱む。
まるで、ここだけが別の空間のような。
嫌だ。

反射的に目をつぶると、仄かに浮かぶ記憶の底。
―――見なければいいんだ。拒絶したいなら。目を閉ざせばいい。
何を誤解したかのか、白い服の男はもっと積極的に迫ってくるらしい。
不謹慎に腰に触れてくる手を打ち払おうとして、過去の自分が冷たい壁越しに囁いた。
―――大人しくしていれば、そんなに酷くはされないよ。
耳障りに擦れた、声とも思えない呼吸が聞こえる。駄目だ、落ち着かなくちゃ。
耳に捩じ込まれる、これは声?舌?濡れた何かが僕を、
「それで、どちらの神父サマなんだ?こん」

卑猥な音をたてて唇を貪ろうとしていた男が、後ろに跳躍する。
否、襟首をひょいと引かれ、勢いよく後ろにたたらを踏んで、固い地面に無様に突っ込んだ。


さっき猫が去って行った暗がりから、ヒトが沸いた。
唐突だった。
「私の、です」
男を放り投げ、声の主が言い放つ。
阿呆な格好で座り込む男が虚を突かれたその時、
これ以上ないくらい力強く、彼の腕が自分を抱きすくめた。不思議と不快な感じはしない。
ぴったりと寄せられた身体と、動けないくらい近くにある、真剣な瞳。
そして、

「彼は私の、神父です。手を出さないでくださいね」
「「はぁ!?」」
この時ばかりは、路地裏で自分を襲った男と意見が合ってしまった。彼は彼で変人だし変態だけど、・・・・・とりあえず、このひと、正気だ。
でも僕はあなたのモノじゃない。
「だから、私の、」
違う。盛大に違う。有り得ない。
何を言っているんだろう、この人。ってそうか、人じゃないんだっけ。ええと、堕天使。
「――まぁ細かいことは気にせず。それでは、失礼を」
ふわふわする頭で考えることもできなくて、後半を聞き逃してしまったまま、彼は僕の手を引いて走り出した。


理屈は通らない。 ただ、はっきりと理解している事が一つ。
また、助けられてしまった。



すり抜けるように小路を駆けるスピードは落ちない。
震える指先を無理やり動かすと、ようやくちらりと振り向く。
「ゼフォン!誰があなたの」
「ええまぁロクデナシの亭主ってところですね」
覚えのある言い回し、ってこれは、
「き、聞いてたんですね!」
知っていながら、この状況になるまで放っておいたなんて・・・
助けてくれた感謝の言葉より、怒りの感情が湧いてくる。
(この人でなし!ばかっ!悪魔!!)
激しく胸中で罵倒し始めた時、前触れもなしに彼は立ち止まった。
「で、どうするんです?」
あと一歩光の中に踏み出せば、目指す教会にたどり着く。気がつけば抜け道のゴールへと到達していた。が、しかし、
「おとなしく生贄の羊になるつもりでは無いでしょうね」
教会に行けば間違いなくさっきの親衛隊と再会すると示して、ゼフォンは一向に手を放す気配がない。むしろ、人攫いかと思うほど手をしっかりとつかんでくる。
「そんなの行ってみなければわからないじゃないですか」
それに、
「それに、余計な御世話なんです。あなたがいらっしゃらなくても、僕は平気でしたから」
黒髪のかかる瞳を見上げれば、
それはどうでしょうとでも言いたげな、小馬鹿にした顔に笑われていた。
今度は人のいない街角で、これ以上ないくらいの勢いで彼の手を振り払う。
赤くなる顔と手とは、きっと全力で走った所為だ。


予想していたのと違って、普段ならあっさり踏み込んでくる教会の領地に彼は入って来なかった。宿舎の受付に向かう。
まっさきに帳簿を見せてもらうと、親衛隊の役職についているものはいないようだった。
(ほら、いなかった)
ささやかな安堵を胸に記帳を済ませれば、あとは鍵を受け取って割り当てられた部屋へと入るだけ。
そう、それで今日という日が穏やかに終わりを告げるはず、
だった。


夕べの祈りを済ませ、そろそろ寝ようかと準備をしはじめた頃だった。ドアをノックする音が聞こえた。こんな時間に訪ねてくるなんて・・・どうせゼフォンだろうと、警戒心もなくノックの音でドアをあけた瞬間、体が宙を舞った。
(しまった。)
手に持ったろうそくが吹き消され固い床の上に馬乗りにされ、成す術もないまま侵入者と顔を合わせれば、当然それは昼間裏通りで襲ってきた親衛隊の男だった。

「ご機嫌麗しゅう神父様、いやぁ息災で何より」
「・・・何か御用ですか?」

跳ねる鼓動を抑えて見上げれば、値踏みする目つきが体中を撫で回すのが窓明かりにもわかる。
「つれねぇオンナだ。聞いたよ、あんたの事はそっちこっちで」
「有名になんか、なった覚えはありません。それにオンナじゃないです」
「そこらの娼婦以上にイイ声で啼くんだってな?」
「・・・・・だから女じゃ、ッ!」
布地の上を這う手が撫で上げるように胸元を動き出す。
「こんだけ顔が綺麗なんだ」
指先が下へ下へと移動する。

「アレがついてようとなかろうと構わねぇよ」
頭の中で、何かがブチ切れた。

(ダガーさえ手元にあれば、こんなボンクラで不快でどっかの悪魔以下の人間に、こんな、コトを、されなくて済むのに!)
稚児扱いにされる屈辱への怒りが、かつてはそれ以下の扱いすら受けた記憶とせめぎ合い、意志に小さな炎を灯す。
僕は、守られてばっかりの人間じゃないんですよ。
こんな状況くらい、一人でどうにか出来ますからねっ!
決意とともに目を見開けば、胸元のボタンが開かれていく光景の先に窓が見えた。そこに揺れる影の正体に気付いて息をのむ。
「・・・ゼフォン?」
うそ、だってここ4階なんですよ!?
「ちょっと、まさか」
「まさかも何も、一晩中かわるがわる可愛がってやるからせいぜい」
「待って下さいっ、てこっちじゃないんです放して!」
「こっちが嫌ってことは下がイイってことか?急かさなくてもいずれ」
「だから止めて、って言って」

おぼろげな光の中に、夜より黒い影が降り立った。
ばさり、不思議と耳慣れた音がする。
羽だ。
「だから、言ったでしょう?」
彼はこんな状況でも嗤っている。
助けに来たつもりなんだろうか。
「本当に・・・良い所に来てくれましたね」
「その状況で何を仰いますか」
呆れた口調でコツコツと靴を鳴らしシェラの頭上に立つ男の背中に、黒い羽を散らす翼があった。
いつのまにか拘束の解けていた片腕をそっと羽根に滑らせて上に伝わせると、ゼフォンの瞳から偽物の笑みが剥がれる。
「イシュ」
何かを切望するような色が、たった一言にさえ見てとれる。
かがむように手を差し伸べる指先が微かな震えを帯びている。
ああもうあなたって人は、こんな時に、そんな表情をしないで下さい!
どうせなら、いつものあのせせら笑うような顔でいてくれたほうがマシで。どうしてこの人は・・・
ってそれどころじゃないや。

ふ、と息を吐き、悪戯な口調で言う。
「キスを、しましょうか」
台詞めいた一言が状況を動かす。

「「え?」」
一人の人間と、堕天使の声が重なった。
服を脱がすのに夢中で、この部屋にもう一人が到着した事など全く感知できていなかった親衛隊が顔をあげる。
一方でシェラが、アーメン、と小さく呟くと同時に、手頃な羽を力いっぱい引っ張った。
当然羽根は抜け、ゼフォンは絶句した。
彼が何が起きたのか正確に把握する前に、夜空よりも黒い軌道がサーベルのように半円を描く。

そして、

「うぁああああぁああああぁああ!?!」

一瞬のち、シェラの上から転がり落ちた親衛隊の男は胎児のように身体を丸めて叫んでいた。両手で覆うようにされた目元から鮮血が滲むように零れ落ちる。
その煩さに眉をしかめながら身を起こしたシェラは、男の眦を切り裂いた凶器を手に握って後ろへと移動する。

「おおおおぁあぁあああ、クソ野郎がぁあ!どこ行きやがった畜生!」
血が目に入ったらしく探るような手つきの男が伸ばす手を避けて、ようやく男として認知されたシェラは立ち上がる。
ふらふらと定まらない動きの男は、目の前で動くシェラにも気づかずに膝立ちで見当違いな方へと手をのばしては空を切っていた。その様子と、背後からぎこちなく腕を伸ばし抱き寄せてくるゼフォンとを見比べて呼吸を整える。
「聞きなさい」
流石に痛かったらしいゼフォンがばさばさと羽ばたく音を隠すようにシェラが言い放った。
「僕には守護する者がついています。
命が惜しいのなら、一刻もはやく、ここから立ち去りなさい!」


その声はしっかりと男の脳裏に刻まれ、目も見えないままに立ち上がると、仲間の親衛隊のもとへと逃げ出し、こう言った。
「あの神父は、天使に守られている」





騒動の終わった部屋に、時折羽ばたきが響く。
抱きしめたまま固まった、もう一人の犠牲者の腕の中で気遣わしげな声を上がる。
「あの、大丈夫、ですか?」
「神の鉄鎚とはよく言ったものですね」
「あなたが居てくれて本当に助かりました。ありがとうございます」
「そうですね」

最後に一つ、ばさりと羽が床を打って静かになる。
妙な間が空いた。

「・・・お役に立てて何よりですよ」
「う、嘘は言っていませんよ?」
「守護天使と同じ扱いとは、これはまた光栄な事で」
「だって、四六時中ついて回るからじゃなくて、ええと」
「そうですね」
とても、話しにくい雰囲気だった。
「・・・・・あの、僕、寝ますね」
自分を守るように囲む腕からそっと抜け出してベッドへ向かう。 そそくさと寝る準備を始めたシェラが、暫くして、押し包む沈黙に耐えかねたように口を開いた。
「あの・・・羽って、また生えます?」
「そうですね」
「う、わ」
「気を遣ってくださるのは非常にうれしいのですが」
「ゼフォン、あの、ちょっと離れて」
「そーゆうのは、実行する前にしていただけませんかね?」
「・・・ごめんなさい」

fin

ss top

Copyright(c) vois99 all rights reserved.