How to make bathtime?

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-warm up-



その夜、見事などしゃ降りの中を一人の人間が訪ねてきた。
どうしてと言うより先に、家の主は彼を屋根のある場所へと引っ張り、そして自分が濡れるのも構わず抱きしめた。その様子は、労いの言葉を忘れた子供のようであったし、年経た者が無言で想いを伝えあう再会の場面にも似ていた。



雨に囲まれた家の中に、濡れた音が響く。耳元に優しい口づけが降ってきて、雨に濡れたせいではない震えがはしる。
しばらくそうして小さな愛撫を与えた後で、彼はぽつりと呼んだ。
「イシュ」
その声音があまりにも苦しそうで、顔を上げられなくなった。
僕を傷つけた人が、どうしてこんなに苦しそうな声を出すの。
ずるいじゃないですか。
でも、こんな風に感じるのはやっぱり、僕の中に“彼”がいるから?

「昼は、言う必要のない事を喋りすぎました。
驚かせてしまったお詫びをしなくてはと思っていたのですが・・・あなたの方から来て下さるとは」
苦笑気味に継いだ言葉もまた、昔語りの穏やかな言葉。
「ああして当ってしまうのを、赦す事はありませんよ。だいたい昔のあなたは優しすぎて、見ているこちらが心配なほどでしたからね。今ぐらいの方がこちらも議論を楽しめると言いますか、」
かつてのゼフォンはこんな風だったんだろうか。不思議と落ち着いて、快活ささえ感じさせる。いつも自分に話しかける捻くれた口調とは、全然別物で。
昼の事がなかったなら、あるいは、自分がもう少し鈍感で天然ならこっちの方が良いと思えるのかもしれない。
だけど、ゼフォンの口調を聞いていると、自分がまるで心のない人形か墓石か、モノみたいな気にさせられる。ゼフォンは僕という壁を通して、“彼”に呼びかけているだけ。
「ですから、いいですか、無理に感情を抑えたり隠したりするのはよしなさい。それに、昔ほどではないにしろ私と居る時間を楽しんで下さっているようですからね。今日のようなすれ違いもいずれ」

だから、
「僕は、“彼”じゃないって」
こんな風にゼフォンの望みを否定するのは、一体何度目だろう。
押し殺した怒りが滲む声音で、擦れた喉が告げた。
「何度言ったら、わかってくれるんですか」

突然の反撃に滑らかな講釈が止まる。
溜めて、溜め込んで、苦々しげに息を吐く。
シェラは、その間合いをかえって人間らしいと思った。

「昔のようには、いかないものですね」
空虚な独り言を呟き、彼は腕の中の人間をそっと解放した。


「それで、今日は何のためにいらっしゃったんです?」
声音が変わる。探るように見上げると、シェラが知っているいつものゼフォンがいた。
一瞬で声も口元の笑みも、別物になる。
ほっとするような。もどかしいような。
ただ腕を解いただけの間近さに、重い雨の音が響く。互いの体温が伝わる距離。
視線を逸らしたまま、固い口調で切り出す。
「昼の事ですが、」
「昼の事?」
ゼフォンは動かない。幾千年もの年月に耐えた樹木のごとくぴたりと寄り添ったまま、傍らに立っている。

「申し訳ないと、思っています」

突然の謝罪のセリフ。謝る理由も、言い訳もなし。
だって、この人が知りたいのは僕の気持ちじゃないから。
それに、僕に必要なのは、この人じゃないから。
そう思いこみたくて。
一歩引いて、そっと距離をとった。
「僕にとって、あなたは教会と孤児院の援助者です。それを、あのように声を荒げてしまって」
“彼”なら、こんなことを、こんな口調で言ったりしない。妙に確信を持ちながら淡々と告げる。
何を言おうとしたのか、ゼフォンの薄く整った唇がわずかに開く。手で遮って、舞台の書き割りを読むように告げる。
「本当なら、お心を曲げられても仕方のない事です。けれど、孤児院はあなたからの援助なしには、生活を成り立たせることが出来ない」
自分のテンポを崩されること以上に、今、何かを言われてしまったら、僕の覚悟が壊れてしまうような気がして。

「だから、償わせていただけませんか?」

感情もなく、ただ、物が行き交う。
食べ物や、生活用品。歌。そして、自分の身体。
物のように、取引材料として扱えと申し出る。
子供たちのために。
それ以外の何かは、あってはならないから。

法廷の取引めいた物言いに困惑したのか、さっきまで動きもしなかった指先が、不規則なテンポで位置を変える。
黒い瞳と向かい合う怖さをこらえ、静かに顔を上げると、ゼフォンは苦い表情のまま躊躇していた。ああ、こういう顔もするんだな、と今さらな感慨を思い浮かべ回答を待つ。

やがて、ゼフォンは諦めたように一歩下がった。
「わかりました。服を脱いで待っていらっしゃい」
片手でベッドを示して、自らは部屋の奥にある扉へと歩く。“そのつもり”にしては、やけにあっさりとしていた。途中で布を放ってよこしたけれど淡々と奥の部屋へと向かって、

「・・・ドア?」
見覚えのない入口に首をかしげながら、雨でびしょびしょになった上着を椅子にかける。厚手の布を被ると、少し温かくなった。ベッドの上に上がり、暖炉に近いところで濡れた体をを乾かす。ぼんやりと炎を眺めると、ふと、ゼフォンの瞳を思い出した。
―――美しくて、怖い。
怖い?
獣のような細い瞳孔だろうか。
それとも、不思議な深みのある色?

冷えた身体を丸めるように倒れこむと、眠気まじりの考えごとに鏡映しの自分が見える。

ああ、違う、
“僕”がいないから。
彼の前で、僕は透明な空気。
ゼフォンの瞳に映るのは幻の“彼”。




寒い、と思って目を開けると、
「おや、起こしてしまいましたか」
「・・・っ!?」
勢いよく起き上がろうとした目の前によく知った男の顔。均整のとれた体は当然のようにベッドの上に、というよりシェラの身体を覆うように膝をついている。
一方自分は、何も身につけていなかった。
下着から何から、全部。完全に彼のペースに捕まった。
どこへ逃げようもなく、シェラはベッドにへばりつく。
「何、するつもり、で」
「それはもう」
服をベッドの上で脱がせたら、
「わかっていることでしょう?」
いつものように笑顔を貼りつけて覗き込んでくる黒い瞳。 楽しげな指先がシーツと頭の間に潜り込む。うなじごと抱えるように引き寄せ、濡れて滑りの悪い髪をほどく。長く整った指がうねる金髪をすくい上げた。
やっぱりそういうことをされるんだ。
知った途端、体に緊張がはしる。
「震えていますね。寒い?」
耳元で呟く低い声がして、濡れた舌先と歯が左耳のピアスを食む。
「服、返して」
「貴方が温まったら返しますよ」
いつの間にか閉じた目蓋で、敏感になった肌と聴覚で、ゼフォンの指を感じて耳朶から金属が外れるのを聞いた。
「そちらから言い出したことなのに、怖いんですか」
嗤う気配がして、ナイトテーブルにピアスがことりと置かれる。
挑発の言葉を無視していると、続けざまに声が降ってきた。
「こちらも外して下さいね」
シェラが薄く眼を開くと、見上げたゼフォンの左耳に、自分がつけているのとよく似た丸い石が見える。シーツを掴んで汗ばむ指を開き、腕をのばす。薄暗い中、距離感もつかめず触れた冷たい頬から、そろりと指を伝わせた。

怖いどころか、この後に続くコトなんて嫌というほど知っている。繰り返しみる夢のせいで、幾度修道院のベッドで跳ね起きた事か。
もしゼフォンがただの旅人で、形ばかりの寄付をして去っていくなら、こんな真似誰がしますか。でも子供たちに、少しでも幸せを感じてほしいから。だから援助者である彼が怒ったままじゃ困るのであって。
―――そうじゃなかったら、こうする理由なんて無いはずだもの。
耳裏の小さな金属を探していると、起きたばかりの指先がしびれてくる。ようやく止め具を緩めれば、ピンがするりとシェラの手に落ちてきた。ゼフォンと“彼”を繋ぐ絆の一つ。
一緒に落ちてきた留め具も拾って、ナイトテーブルにまとめて乗せようと肘をつき、身体を起こしたその時だった。急いているのか少し乱暴な仕草で、ゼフォンの腕がシェラの背中に回される。 コントロールを失った指先から青い装飾がこぼれ、ピアスは片割れの隣に落ちた。鮮やかとはいえない着地で、跳ね転がりかろうじてテーブルに留まるゼフォンのピアス。大切なものだろうに、それすら見ずに彼は言った。

「こうして服を脱いだら、やることは一つでしょう?」
わかっていると伝えるつもりで、シェラは相手の瞳を睨む。
すると睨まれた方は、何が楽しいのか機嫌よく笑って言った。

「お風呂に入るんです」
「・・・は?」


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