jubilation
昼のうちにゼフォンが孤児院に届けたパンプキンパイと、スモークチーズのおやつはすぐに売り切れた。
彼は“後でランタンを取りに来てくれませんか?”と一言添えていっただけなのに。なぜか子どもたちがそれに反応したのだ。
教会の横にある孤児院からゼフォンの家まで、道なりに中身をくりぬかれたカボチャがどかどか置かれている。置きに行ったのは、ハロウィンのような楽しいイベントと美味しいおやつが大好きな何人かだ。
「神父様、終わったよ!ごほうび頂戴」
「お手伝いありがとう。さっき、ゼフォンのところでパイを食べたでしょう」
「えへへーだってぇ、働いたらボクお腹すいたー」
「すいた!ちょうだい」
「夕食を残さないっていうなら、林檎を一つずつあげましょう。守れる人!」
はーい!!と挙がる、僕の背丈よりも小さなところにある手。
一つ一つとタッチして、小さな林檎は子供たちの掌に収まっていく。
「神父様、最後だから大っっきいのふんぱつして!」
「エミリー、大きくて酸っっぱいのと、小さくて甘ーいの、どっちが好き?」
「甘いの!」
ぱちん、と互いの手を打ち鳴らし、少女のきらきらと輝く瞳に林檎を差し出す。
「はい」
「ありがとー!神父様わかってらっしゃるぅ!」
昨日の夕日の中、教会の前にくたりと倒れていた少女は朝になって、いつもと同じように眠りから覚めた。いつもと同じように、エミリーは、すこぶる元気だった。
ただ一つだけ。
エミリーをはじめ子供たちは、マグノリアに関する記憶を失っていた。彼女と一緒にあそんだこと、彼女がいたこと、とにかく全て。
だんだんと冬へ近づいていく空の下、うすい橙に糸をひいた雲が風にまぎれて消えてゆく。秋から冬へ、季節が移ろうとしているのを目に焼き付け、シェラはランタンの蝋燭に火を灯していった。
夕食が終われば、子どもたちは、このカボチャの灯りを頼りに、夜の闇の中を歩いていく。数名ずつグループでゼフォンの家まで歩いていき、怖いながらにドアを叩いて言うのだ。
“treak or treet!!”と。
そしてたいてい、ひそひそ話をしながら男の子だけで行った組が、こんな噂を持ち帰る。
「ほんと、まじ居たから!
帰ってくるとき、でっっかい火でできたドラゴンが・・・なぁ神父様信じてよぉー!」
少年たちが、何か悪戯をしかけたのだと思う。
でもだからって・・・・・怒れないよこれは。
だって、きっと、彼らに悪気はなかったんだし、それに。
(発想が子どもと変わらない・・・)
仕返しする方もどうかと思う。
無事帰ってきた子供たちを順に寝かしながら、神父はほろ苦く笑った。
11月1日、万聖節。
ミサは午後の時間に、つつがなく行われた。
後片付けも晩の分の繕いものも、手伝いに来てくれた村の娘達がさくさくと終わらせてしまったので、めずらしく、さて何をしようと思案していた程。
そのことを知ってか知らずか、子どもたちの夕食の手伝いを終えた彼は、少し早めに来るように、とだけ告げて帰った。
「ちょっと、どこまで行くんですか!?」
“仮装行列はしません!”って言ったのに。何度も言ったのに!
人魚姫の衣装に足を一纏めにされては歩くこともままならない。それどころか、こうしてお姫様抱っこなんかされたら落とされないようにしがみつくしかないっていうのに。
「人間が風邪をひかない程度の距離しか移動しませんよ」
ほら、着いた。と連れてこられたのは、
灯火が照らす、泉。
木から吊るされた灯りは風でちらり、ちらりと揺れ、それが水面で光ってはきらきらと浮かび上がる。地面に置かれた蝋燭の器は、あれは貝殻だろうか。強く焚かれたたき火のせいか、あたりの空気は少し肌寒い程度に温められていた。
そこは、人魚姫のために設えられた小さな舞台。
水面に張り出した岩棚の上、紫の刺繍で彩ったクッションの上にゼフォンは華奢な身体をそっと置いた。
そうしておいて差し出した楽譜は、やっぱり、というか
“Ondina”
村の噂で、最近フランスの戯曲家が舞台に載せたことを聞いた。
興業そのものにあまり興味はないけれど、歌い手として曲や物語には少しそそられる。ゼフォンがこれを持っているということは、彼は一足先に聞いてきたか、それとも楽屋で失敬したのか。少し羨ましい。
話の筋はこうだ。水の精オンディーヌは青年と恋に落ち、人間の世界に姿を変えて現れる。ところが、オンディーヌの自由奔放な性格に嫌気をさした青年は人間の娘に浮気。
オンディーヌが人間界に遣わされる時に神は、もし相手がオンディーヌを裏切った時には相手を殺すようにと告げた。この命令によって、オンディーヌは青年に、裏切りの眠りが彼を死に至らしめるよう魔法をかけてしまっていた。彼が決して裏切らないと、信じていたから。人間の男は心変わりによって破滅してしまうのだ。
しかし、その魔法が人間の男を殺してしまわぬように、オンディーヌは法廷の最中、神に嘘をつく。「彼が私を裏切る前に私が彼を裏切った」と。
神の眼はごまかせない。つかの間の逢瀬、そして別れが二人を襲う。
そうしてオンディーヌは再び水の精に帰ったが、人間界での出来事はすべて記憶から消されているのだった。
昔からの、妖精と人間の悲恋がモチーフになっている、よくある話。
どこかで聞いたような気がする、と思ったら、たぶんゼフォンに言わせれば、自分達はこの続きなのだ。
人間ではない男は、かつて自分と愛し合ったという“彼女”を求めて人間界へと現れた。
でも、
生まれ変わりだという僕には、彼がかつて裏切ったのかということや、今、このひとを信じていいのかもわからない。オンディーヌは、記憶を失って何も覚えていないから。
唇を噛み、淀んだ呼吸を外に出す。
人間の形をとったその人は、こうして時折、記憶を失くしてしまったオンディーヌを責める。僕にはどうしようもないトコロで、悲しい出来事を蒸し返す。
だからそれが?と関わりのない態度をとったこともあった。そうする度に胸の奥が軋んで、息ができなくなった。結局、困ってしまって最近は曖昧なまま濁しているような、気もする。
「ゼフォン、これは・・・」
振りかえり伝えようとした言葉は、そっと抱きしめる腕に止まった。
「あの子を」
「へ?」
「マグノリアを、あちらへ送ろうと思っていたんですよ」
彼の言うあちら、とは、ゼフォンが本来いるべき場所、地獄のことだろう。唐突な話題に惑っていると、背中から守るように包まれて、耳元にため息が聞こえた。
「万聖節の前には、ああいった霊が出やすいもので、それを人間はミサであちら側へ返そうとするわけです」
「その話は、教会の」
「ではありませんよ。そうですね、在野の、昔この土地に住んでいた者たちが信じて行っていた祭り、とでも言っておきますか」
「はぁ」
「ですから、31日がピークで、11月に入ればあちら側へ皆返されるわけです。その時に一緒に連れて行こうかと」
「え、と?」
「それを、あなたが、あの場でむこう側へ引っ張ってしまうから」
「ま、待って下さい。リアを地獄に連れて行こうとしてたんですか!?」
「ええまぁ」
「っ!ええまぁとかしれっと言わないで下さい!地獄っていったら、あれですよ、罪を犯した者だけが!!」
「・・・論点はそこですか。死んで尚人間界に居座るのは、特に問題ないと?」
「・・・知りません、あなた方の基準は」
人間にはわかりませんと続けようとした唇に、むに、と低い温度の指先が触れる。
「ならば、とりあえず最後まで聞きなさい」
「う、わかりました」
「言ったでしょう。あなたが“むこう側”へ連行してしまったので、私の出番がなくなったと」
ゼフォンの出番がなくなった。
ゼフォンの“あちら側”があって、
“むこう側”?
「言い換えるとこうです。リアは無事天国に行ったようです」
少なくとも地獄と人間界にはいません。
言い添えられた言葉の端から、視界が滲むのがわかった。
「ゼフォン、それ」
「嘘は吐きませんよ」
彼はそっと唇から指先を離した。
自分の知ることを告げたばかりに、ゼフォンは人魚姫の真珠の涙を目にする羽目になった。しゃくりあげる小さな肩を後ろから抱き、指先で涙をぬぐう。どういった理屈だろうか。“彼女”があんなにも大事に送った存在の無事を告げたというのに。また一つ零れ落ちた雫を拾い、堕天使は視線を逸らした。これを泣きたいような気持ち、というのだろうか。
ほんとうに、それを拾ったのは、気まぐれに近かった。とは言っても、イシュリエル以外の存在にこちらから手を伸ばしたのは、ひょっとすると何千年と人間界に居座って初めての事だったかもしれない。たいした気まぐれだ。
ただ、オンディーヌの劇を無防備な会場のテラスから侵入して聞いた後、近場の屋根で休憩がてら採譜をしていたら見つけてしまったのだ。
出入り口から溢れ出す客の中に、誰かを探している幽霊を。
ゼフォンにはその表情から、おそらくその誰かが見つかる可能性がひたすら奇跡に近いことが判ってしまった。
だからはじめは、当てつけにしばらく傍に置いていようと思っただけだった。家族ごっこに使える、と。
どうせ11月になればいなくなる。
ついでに、手のかかる子どもに、本物の親のように身を粉にする“彼女”はどんなことを考えているのか分かるかと思っただけ。
暇をもてあましただけなのだ。
ところが、マグノリアは予想以上にこの家族ごっこを気に入ってしまった。というより、おそらくはこの“お母さん”のことを。
本当の母親になってほしい。その望みを、彼女が幼い衝動のままに実行するのに、阻むものはなかった。
そんなことをした彼女に、この存在は、こんなにも心を砕き、傷つき、
逝ってなお、その心を揺らすのだ。わからない上に、少し腹立たしい。
けれど一方で、そうして涙しているコトを無理に止めようという考えは生じなかった。彼女を慈しむ、そのような心を持った存在に対して、愛おしささえ感じている。
だから。
ゼフォンの手が離れていき、
す、ともう一つの楽譜を重ねた。
「今日は、そちらを歌える気分ではないようですから」
手の甲でぬぐって見た楽譜は、聖歌の韻律ではない。けれど、どことなく似ている。
何よりもその詞が。苦しみを耐える者へ、天使の守りを告げることばに彩られてそこにある。
「・・・こういうの、苦手だって言ってませんでした?」
「さぁ。どうでしたか」
片眉を上げて、とぼけてみせるゼフォンに、シェラは余所を向いてほほえんだ。
「これ、歌いますから。少し離れて」
軽い頷きにas you wishと承諾をこめて返してきたゼフォンは、立ち上がって靴だけを岩の上に脱ぐと、シェラの目の前の水へと半身をすべりこませた。
泡とともに飛沫が上がり、それは軽い雫となってシェラへとふりそそぐ。
「ちょ、っとゼフォン!楽譜が」
振り返った彼が微笑えむ。きらきらと照らす橙の灯りの中、その向こうに広がる闇と、森の深さを従えて。
心臓が、どきりと鳴るのがわかった。
どこかで見たような、穏やかに凪いだ瞳。儚い希望が宿る夜の色に、その瞬間の躊躇をどう告げていいかわからないまま、シェラは泉の静寂が戻るのを待った。
湧き出た泉の水が、ゼフォンの体と、自分の足とを濡らして流れてゆく。
「彼女のために、」
そう言って、堕天使は人魚姫の手をとった。
柔らかな花の香が、呼吸を満たす。
When it's hard for you to breathe keep a clear mind
When it's hard for you to be just to be yourself sometimes
Keep on believing God is soaring above a world
That's running out of love pouring hope out over us his angel doves
人魚姫は、静かな月の下、ただ、乞われるままに歌った。
fin
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