Give me your. . .

novel top

-The hush-



扉が開いた瞬間、狙い澄ました弾丸のように女の子が飛び出してくる。しかしそんなことはどうでもいいとでも言いたげな顔で午後の来訪者は神父を見つけ、
「やはりこちらにいましたか。丁度よかっ」
「ちょっと
待ちなさい、もうっ!・・・ああゼフ、後にして下さい」

そう言って、年若い神父兼孤児院の保父さんは少女を追って走り去ってしまう。横を通り過ぎた金髪の向かう先、少女の手には余る大きな本がぽーんと放り投げられあやうく両手に収まる。その繰り返し。
あとには片手にお菓子のレシピを掲げたまま、軋むドアの傍らに取り残されため息を吐く男が一人。
街の人から教会の下男と勘違いされるほど通いつめ、神父の不興を買っているその彼が、ここのところ置いてけぼりをくらう数が多くなっていた。

小さくため息をつき、けれど表情を変えないまま教会へ向かう。
予想したとおり、古ぼけてカビくさい懺悔室から説教の声がする。おそらくしっかりとカーテンを閉めている方が神父で、もう一方は少女なのだが、
「こら、教会で走っちゃだめ!まだお話は終わってませんよ!」

老朽化したドアに遠慮せず走り出た少女が、教会の出入り口に生えていたゼフォンの脚にべしょっとぶつかった。
邪魔な重石を見る冷たい瞳に黙って見下ろされ、うっかり顔を上げてしまった少女が大急ぎで口をへの字に曲げて逃げ出す。
逃走経路は教会の外、孤児院の仲間たちが遊んでいる丘のあたりだろう。

「明日はおやつ抜きですからねーっ!」
よく響く声で叫んだ神父は、軽い追いかけっこに疲れた様子で膝に手をつく。
軽いため息もずいぶん板についてきた。どこまでも走りうろちょろ逃げる子供を追いかけて捕まえて、じたばた暴れるいたずらっこを押さえつけ、自分の子供でもないのに大声でお説教までして。
「・・・・・・毎日ご苦労な事ですね」
「ええ本当に。でも今きちんと教えておかないと」
息をきらしながらも充実した声で答え、神父は子供達がはしゃぎまわる光景に目を細めた。満ち足りた幸せを浮かべた顔に、濃紺の瞳がちらりと向かう。同じ楽しみを分かち合う気配のない男は、気にくわないとばかり呼気を吐いた。
「たまには子育てなど村の方にお任せして、大人の」
「付け足します。あなたより子供たちのが数倍マシです」
「それはどうも。しかしながら、彼女ほど手はかからないと思うのですが」
「一番手に負えない人が何言ってるんですか」

「逆ですよ。あなたごと委ねてしまえばいいものを」
言いながら彼は、羽根を乗せるように、そっと手を取る。
「あなたに?はッ、こんな悪魔の誘惑に」
言いかけて、何を思い出したか唇は止まってしまう。なにも言わずそのまま静かに閉じた顎の奥で噛みしめた音。全身に鳥肌でも立っているのじゃないかという険しさで尚も睨む視線をいなし、悪魔は余裕の笑みで応じた。
「続きは?」
震える語尾で、堕天使の誘惑を振りほどく。
「帰ります」

ほの暗い教会を背に、堕天使はかつての恋人の魂を見送る。
いくら拒絶の言葉など放ったとて所詮は人間。心の底に封印された感情をいつまでも押しとどめておくコトなどできはしないはず。本当は抗う理由など、どこにもないのだから。
笑みの形に固まったまま、繰り返した言葉で衝動をおさめ、
おさめた仮面の下で、愛おしげに注いだ夜色のまなざしが陰る。
“まだ、戻らない”

そんな、音のない言葉が届いたのか。重い足取りは一瞬の躊躇いに止まって、不意に小走りに変わった。動き始めた夕立の雲と同じ西へ向かい、神父はランプを灯しはじめた孤児院へと遠ざかる。





それから十日もしない、よく晴れた日の朝だった。
「ほら、マグノリア。院長先生にごあいさつなさい」
「・・・・・・・」
警戒している仔猫の瞳で、少女はちょこんと膝を曲げた。
なんだか楽しげなゼフォンと手を繋いで。


信じがたい光景を目の当たりにした顔をしたシェラの前で、「いつものご褒美」とばかりに、器用にも“多少手慣れない父親のふり”でゼフォンが少女を抱き上げる。シェラは、とうに吹き飛んだはずの眠気がもう一度ごっそりと吹き飛ぶ思いがした。

「ゼフォン・・・その子は」
「捨て子です。拾いました。うちで預かりますから、服をお借りしますよ」
「ああ。服なら子供部屋に・・・・・・・・・・・・・・ぇえ!?」
よいしょ、と抱えなおして横を通り過ぎる男に、シェラは一瞬考えることを忘れた。
「ひ、拾った?・・・ちょ、ちょっと待ちなさい。ゼフォンその子は、」
「名前はマグノリア」
「苗字がない!って。ああ、捨て子ですからそれは」
「発育からして年は6歳でしょうね」
「ええまぁ、奉公に出されるには少し・・・ってそうじゃない!」
「他に何か?」
「ゼフォン、その子をどうする気です!!」
「この子の養父になります」
やおら堂々と宣言してみせた男の腕に、6歳そこそこの女の子。
ぐるり回ってとおせんぼの格好で立ちはだかった神父は、絶句して、羽根の生えた鹿足の兎を見つけたかのような混乱っぷりでおろおろと目線を泳がせる。
それを見てゼフォンはにっこりと笑った。
(ああ、とても良い表情をしている)

「そんな、無茶ですよ!」
「失敬ですね。私を誰だと思っているんです。子育ての知識ぐらい持っていることは」
「知識だけじゃ駄目なんです、こーゆーのは!」
「なるほど、一理ありますね。ではこうしましょう。
経験豊富なあなたが母親代わりになって下されば問題の半分くらいは解決し」
「そーじゃないでしょう!!!!!?」
だいたい僕だってまだ数年もやってないっていうのに、と、混乱も峠を極めたシェラが涙目になる。
「では何だと言うんです」
何をそう懸念しているのか、と、心底困ったような表情をして。子供を片手に抱え、子育ての得意な神父に返事を求める。

それは、と神父も言葉に詰まる。
だって、何だと言うのだろう。

(だって、堕天使じゃないですか)
まさか子供がいる目の前でゼフォンの正体をバラすわけにはいかない。しかし堕天使だからといって、あながち彼は子育てに無関心でもなければ、親代わりに向いてない訳でもない。実際親代わりができるかといえば、孤児院の子供たちに遊ばれている時なんてベテランの父親かと思うほどよく気を配っていて。正直、彼に出来ないわけがない気もする。
だけど、

「駄目です」
だって、
ゼフォンに子供なんて考えたことなかった。
ゼフォンに家族が出来る?
彼が自分の子供を愛する?慈しむ?
よく村で見られる光景のように?

そんなの、想像を遥かに超えてしまっていて、
―――それに彼は、


「駄目でしょうか?」
「・・・ッ」
いけない。
いま、思い出すべきじゃない事実のせいで顔が火照る。


「・・・仕方ありません。今は孤児院のベッドにも空きがありませんから。それに親元でも捜されているでしょうし・・・一時的になら」
ひどく消耗した声に、ゼフォンと腕の中の少女が目を合わせる。
シェラがまともに彼らを観察していれば、してやったりという共謀の笑みが見れただろうに、残念ながら、その余裕はなかった。代わりに、子供思いの院長先生らしい一言を添える。
「ただし!朝ごはんから夕食までは孤児院のみんなと一緒です」
こんな鉄面皮が一緒じゃ表情が育ちません、と言い訳めいた事をつけたすのへ、父親代わりとなった堕天使はくすりと笑った。
「ありがたい配慮です」
そしていけしゃあしゃあと、

「あなたの所へ通う口実が増えました」
「〜っ!あんたは、見送りだけで十分ッ!」




それから午前中いっぱい、三人は彼女が覚えていること、どこにいたのか、どんな両親なのか、これからどうするのかについて話し合った。というより、リアは頷いたり、指さしたりするだけだったのだけれど。
「大人しい・・・いえ、彼女は言葉を無くしてしまったんでしょうか」
我知らず、首元を指の先で触れてシェラが呟く。爪をあてるような動きに、少女は不思議そうなまなざしであごを引いた。
「ええ、会った時から一言も喋りませんね」
「では、リアというのは・・・?」
「これです」
何の前触れもなく、ゼフォンはリアの首元からひょいとリボンをつまみあげた。淡い珊瑚色のリボンに引きずられ、メダイユのように首に下げられていたのは、
「これは、サシェ?」
もうほとんど香りを失って色も褪せた、小さな袋。
袋の内側には、糸でなにか細かい縫いとりがしてあった。何だろうと思って指をのばすと、少女は慌てたように小さな袋を奪い返す。自分に危害を加えようとする敵を睨みつけ慎重に服の中へ戻す仕草に、警戒心に満たされたかつての自分が重なった。
「わかった、リア。僕はリアがいいと言ってくれるまで、リアの宝物を見たり、触ったりしない。いいかな?」
「・・・・・・・・・・・・・」こくり。
短い沈黙の後で首を縦に振った少女の無言に代えて、ゼフォンが口を出す。
「で、そのサシェの香りなのですが」





「マグノリア、リアです」

孤児院のランチタイムを終えた後、シェラは無言の少女をみんなに紹介すると、新しい“きょうだい”に瞳を輝かせたエミリーを呼んだ。
「エミリー、今日はリアと遊んでおいで」
「ありがと、しんぷさまっ!」
丁度背格好も同じくらいだし、世話焼きなあの子なら。と目を付けたのだが、
「あたしね、エミリー、っていうの」
「・・・・・・・・・・・」こくん。
多少面喰っているようだけど、リアも怯えている様子ではない。
どうやら仲良くなれそうだ。
「それじゃ、二人とも行ってらっしゃい。
 今日のおやつはカボチャのクッキーですよ」
「クッキー、食べていいの!?」
「僕の部屋で盗賊ごっこしないって、約束できるなら」
「する、約束するっ!!やんない!エミリー約束守れるもん!」
「よし、それじゃまたおやつの時間にね」


瞳を輝かせて遊びはじめる子供達に、神父は胸を撫で下ろした。
「さて、これで暫くは、お仕事に専念できますね」
草原へと駆けていく子供たちを思いながら、シェラは孤児院の廊下を足早に歩いた。
「最近やけにつれないと思ったら・・・盗賊ごっこにお付き合いしていた所為でしたか。なるほど」
何故か後を追いかけてくる男はできるだけ適当にあしらう。
「僕の部屋に教会の至宝があるんだそうですよ」
「なかなか鋭い。しかしあれは第2のリリーローズになりそうですね」
つれなくされたゼフォンは、数週前に孤児院を卒業した、赤毛の、やたらに元気かつ粗暴な娘を引き合いに出した。懐かしい、とまではいかないけれど、暫く声にしていない名前に、院長先生は彼女の明るい笑顔を思い出す。
「元気でいてくれさえすれば、養い親としては十分ですよ」
「さようですか」
「何ですか。気持ち悪い」
シェラは隣の、控えめとも人の悪いともとれる笑いに気付くと、胡散臭そうに一歩距離を空けた。
「いえいえ。人間の、臆病で脆弱な心を憐れんでいただけです」
ひとしきり笑うと彼は、それはともかく、と口調を改めた。
「あの子、喉のあたりに傷がありますね」
「孤児院に来る子で、無傷の子なんかいません」
「でしょうね」
さもあらん、とばかり恬淡と返し、続く言葉にゼフォンは微かな感情を込めた。
「子供だけではないでしょう、あなたも、傷を負っていた」
「それは、まぁ」
「ええ。よく似ていますよ」
「ゼフォン・・・?」
「人の子はいつも、父なる神に拠り所を求める」
孤児院を抜け、教会へとのびる廊下の途中。ゼフォンの歩みは立ち止まる神父の靴先を追い越した。怪訝な顔をしたシェラが追うのを待たず、堕天使は言葉をのせてゆっくりと廊下を歩む。

「しかし苦難に貫かれるその前には?受難の直後、彼をその手に抱いたのは誰でした?
人が生まれ、やがて死にゆくまで付きまとう、身体に印された絆の証、他者の痕跡、生来の傷跡があることを皆すぐに忘れる。だというのにあれは、人間が逃れえないものの一つですよ」

振り返り、いつもの皮肉な笑みが見える。 「かつて同じものであったという記憶。
そう。人は誰しも、血の絆に縛られている。時に“それしかない”かのように振る舞い、盲目の人形となってさえ囚われて」

ことん。
錠前の外される音で、シェラは焦点を取り戻した。
「人はその盲目を、幸せと言うのかもしれませんが」
自嘲めいた響きが、謎と一緒に取り残される。


孤児院を抜け、教会へと至る廊下の手前。
そこには、裏の森へと続く古びた木戸があった。こんなところにドアがあっただろうか。錠前はもう随分と触れる人がなかったようで、青銅の緑が剥がれ落ちる。
開けられたドアを入口に、秋の風が髪を浮かせ、すっかり枯れ草色になった景色の中、ゼフォンが何か言っている。風の中、途切れもせずに聞こえるのは決して大きな声でなく。


「だとしたら、“あれ”が幸せに遠いのも当たり前のことですね」
舞い込んだ枯れ葉にシェラが目を閉ざした一瞬、今日はやけに哲学的な事ばかり喋った来訪者はいなくなった。


そして、





“そして私も。”
声に出すコトに意味がないと思ったのか、それとも、朽ちた木戸の向こうにいる人間に聞かれたくなかったのか、堕天使は心の中で付け加えた。
強風に黒髪を吹かせたまま、彼は空を見上げる。瞳が、薄青に染まる白い月を探した。。



next



page top↑

Copyright(c) vois99 all rights reserved.