vibrate
明けて、翌朝のこと。
孤児院へ来たゼフォンとリアは一昨日と同じ仲の良さで、かえって戸惑うことになった。
洗濯物を一山抱えて、教会の裏手にある木戸から外へ出る。
すると、小さな子供をわらわらとひっつけた長身が、教会の畑から貯蔵庫の方へ行く。
シェラは楽しそうな一団を眺めて、洗濯物を抱え直す。
あの殺気は一体なんだったのか。
わからないまま、黙々と物干し場へと向かう途中。
「神父様ー、かくれんぼする!」
「行ってらっしゃい。教会が見えるところまでの約束ですよ」
「違くて、神父様もするの」
顔を上げれば、神父の袖をひっぱる少女。そのまた先に、少女のワンピースをギュッと握って離さない少女がくっついている。
「まぁいいじゃないですか。たまには身体を動かさないと、イザって時に困るのでは?」
「このド田舎にそんなチャンスがあったら、そっちの方が問題です」
「では、その機会を一つ減らして差し上げますから、今日は子供たちと軽い運動に興じてみてはいかがです?」
シェラは、何だか意味深なコトをさらっと口にする男を二度見した。
内心では、いうまでもなくおつむの足りない黒髪の変人を憐れむ罵倒語を吐きながら呼吸を整える。
「それってつまり、あん・・・失礼、あなたが暫く大人しくするって事じゃ・・・」
思わず人差し指でどつきそうになるのを堪えてシェラが語尾を濁すと、ゼフォンの方は“対村人用”の真面目な顔を作って呻吟する。
「そうですね、村ごと静かになるかも。特に夜とか」
「わかりました!!はいみんな聞いてー!夕飯前にかくれんぼするからやりたい子集まってー!」
はーい!!とうれしそうな声が響く。
そして午後。
「そいじゃ、いくよー!皆にげてねー!ぜんりょくでー!いーち、にー、さーん・・・・・・」
子供たちが楽しんでくれるのなら、というより、静かに過ごせる一晩を求めて、シェラは淡々と聖堂の隠れ場所へ向かっていた。
(・・・・・・・・何のせられてるんだろう)
すったもんだで、結局、参加者には大人が2人含まれることになったわけだが、そのうち一人は、もうおじいちゃんと名乗ることさえ空恐ろしい年齢で、それは、人間の世界で僕だけが知っていることだったりする。今はどうでもいい知識。
(まぁいいや、ここに居れば適当な時にエミリーが鬼で来ておしまいになるだろうし。それまで少し明日の説教の内容を)
よいしょ、と祭壇の裏にある暗幕に手をかけると、そこへぴたりと重なるものがあった。そのまま冷たい手は遠慮なく指先を絡めて
「来ないでください」
摩擦熱を帯びた護身用のダガーを振りぬくと、まるで偶然当たったかのように、手首を受け止められた。
「大事な人を相手に、躊躇ない見事な攻撃ですね」
「はッ!!こんな時までストーカーなんて、」
「こんな時だから、ですよ」
戯言と共に、シェラはカーテンの中へ引き込むように抱きしめられた。天井から床まである大きなカーテンの中に、くるりと二人分の体温が巻き込まれる。黒い布地が、堕天使の翼のように二人を閉じ込めた。
「なにするんですか!?」
「早い話、暫く、二人でいちゃいちゃしませんか?」
「〜〜〜っ!?何言って・・・子供達に見つかったら」
「ええ。だから静かになさい」
「馬鹿ッどこ触っ、て・・・っ」
するりと腰に回された手は温度が低いとわかっているのに、どうしてだか、布地をはさんで熱っぽい感触に変わる。
「ここ、お好きでしょう?」
「だっ誰がドコを、好きだな、ん」
我が儘な神父さまですね、と一人ごちた堕天使の指先が、柔らかく、しかしぴったりとシェラの口元を押さえる。
「やれやれ。秘密の居場所には、ここがぴったりだと思ったのですが」
思わせぶりな言葉がかくれんぼの話だと気付いて、じたばたと暴れていた神父は、ぴたりと動くのを止める。一体どんなフォローだと憤慨しながらも声を小さくし、
「だからって!あんな!誘拐犯かゴロツキみたいな真似を!!」
「ほら、静かに」
「っ――!??」
ゼフォンの翼にも似た、漆黒の緞帳に包まれて、神父はそれきり意味のある言葉を放てなくなった。「みたいな、じゃなくてコイツは本当に誘拐犯で色情魔で悪魔だ」と撤回する間もなく、数秒とあけず口づけの雨が降る。
そして、5分後。
「あんな風に声を漏らしては、鬼に見つかってしまいますよ」
唇の間に引いた透明な糸を拭ってやりながら、堕天使は悠然と微笑む。
もはや返事どころではない有り様で、5分が20分、いや1時間に感じる程の、念入りな口づけに圧倒された神父は息を吐く。
「ばか、何・・・やっ、て」
さすがに場所を気にして頑張ったらしい。努力した分、頭に血が上ってあっさりと罵倒の言葉を口にする。
「何とでも仰れば宜しい。あなたは私のものです」
「今それ、関係な・・・ぁ」
抱きしめた身体が、熱に震える。
誰にも、渡しませんよ。
喉の奥で呟いて、ゼフォンは華奢な頭蓋に再度口づけ、黒い闇を睨む。
それは柱時計が五時を告げる、いまだ明るい、気だるげな午後。
時を刻む音に呼応したかのように、積み上がった藁がもそりと動いた。
無言のまま、たくさんの藁屑を髪に服につけた少女が這い出てきた。かくれんぼと言う名の戦場に立つ者らしく、静謐に。彼女は音も無く立ち上がり、その小さな足元にどこからかぽつん、と水滴が落ちる。
ひゅう、と空気を取り込み、唇は微かな音をたてた。
「・・・・・・・消えちゃう」
脆くなって木漏れ日の降る納屋の中、少女は探すようにあちらこちらと首をめぐらす。と、意を決して真っ直ぐにドアへ向かっていった。初めは恐る恐る、次第に焦りをおびた忙しさで、小さな足をもつれさせて。
走る少女の輪郭を壊しながら、藁がはらはらと落ちて行く。
「置いてかないで」
「ひとりにしないで」
「神父様、どこ?」
バン!、と大きな音を鳴らして開くのは聖堂の扉。
大人でさえゆっくりと開けるしかない重量のそれが、内壁へと叩きつけられる音がした。暗闇の中、シェラの耳がその轟音を捉える。
呼んでる―――と、宙を探っていた瞳がそちらを向いた。
「リアの声です、きっと何か」
「シェラ、落ち着いて」
「行かなきゃ。もしかしたら何か思い出して怖がっているのかもしれない、僕が」
腕の中で暴れる身体を抱きしめ、ゼフォンは苦々しげに吐息をこぼして耳元へ鼻先を摺り寄せた。
「シェラ。あの子の声を、いつ聞いたんです」
「あなたが、あなたが怒ったあの日に、あの子喋ったんです」
「では、喉の傷は?」
「それでも、ほんとは喋ることができて」
「初めて会った日に、二人で確認したでしょう」
「あれは、」
「私は、嘘など吐きませんよ」
優しく、深く、どことなく哀しい声。
「・・・それなら、僕が今聞いている声を、どう説明するつもりですか」
言葉の端々が、泣くものかと揺らいだ。
「“声なき声”がするのは、優しいから、と」
「答えて下さい」
「あれは、人間じゃない」
あやすように、人ではないものが耳を塞ぎ、眦に口づける。
「ご覧なさい」
細くゼフォンが開けた暗闇と聖堂の境界をそっと覗く。
シェラの視界に映ったのは、いつの間にか閉まった扉と、天窓から細く差し込む色、それに照らされ泣きじゃくる少女、そして、
「・・・・・・影が、ない?」
「もう、気付いたでしょう」
「ゼフォン彼女は、」
闇の中振り返った唇を、冷えた温度がそっと止める。
「何者か。わかったところで、今のあなたに何が出来ます?」
人間の領分にあるものではない。と、堕天使は事実を述べるために囁いた。そうして神父を躊躇わせておいて、動くなと抱きしめる。
「終わらないごっこ遊びに、付き合う義理はないでしょう」
「だけど。いつまでもあのままでは、辛すぎます」
「もはや彼女に親がいないというのは明白のこと。あの子はそれが認識できないまま逝ったのでしょう。生という変化を止めた存在にどんな言葉や行動を与えようと、彼女は」
ゼフォンは、ふと、その先に続く言葉を引き取った。
「ならばせめて、孤児院の子供として」
「・・・・・・都合のよい親を演じる?それはいつまで?」
「それは・・・じゃあどうしたら」
「彼女を孤独からも、親を失った悲しみからも救い、天国へ導けるか、といったところですか」
そこでゼフォンは、自嘲的な笑みを吐いた。
「我儘などやめることです」
「諦めるしかないんですよ。
願い一つ犠牲にする程度では追いつけない、それほど残酷なのだと。
単純な事実を受け入れて、消滅するしかない」
「そして、受け入れられない限り、この世界から切り離されズレた空間を彷徨い続ける。永遠に、独りで、です。
いいですか、あなたはご自分がいなくなった後の事を考えていないようですから言わせていただきましょう。あの存在は既に暴走を始めています。たとえ今この場を収めたところで、今後起こる事態について、対処方法どころか予測すらおぼつかない。そんな無力さで、彼女を人間社会の約束事に縛り付けるだけの何かを、教えられるとでも?」
シェラをそこに居るよう押しとどめ、堕天使の気配を現したゼフォンが暗幕から踏み出す。左手に翻った彼の炎が一瞬うねりを見せたかどうか、その刹那、
神父服に包まれた腕が、目前の災禍を抱いた。
「ゼフォン、いけない」
お互いに視線を少女へと注ぎながら、シェラは隣立つ堕天使と自分が全く逆の視線を彼女へ向けているだろうことを、余すところなく意識した。氷のような掌は一旦その炎を収めているだけだとわかる、刃のまなざし。僕の方を、見向きもしないで言うのだ。
「自己満足では、解決どころか害ですよ」
至らない言葉に、唇を噛みしめた。
「諦められないんです。僕は」
繋がれ置き去りにされたがらんどうの中に、誰か手を伸ばしてくれるのを願っていた日々があった。
そうして、助けに来てくれた人がいたから、今ここにいる。
だから、僕も。
シェラは、ゼフォンの腕を放すと、そのまま少女へと歩いた。
堕天使の目前で、幽霊となった少女は神父にわっと飛びついた。
ゆっくりとしゃがんだシェラの腕が、そっと少女の輪郭を抱きしめる。
背中を撫でる掌は、時折透けた体の温度を感じられずにゆらゆらと上下した。
「リア、泣いてるね」
「・・・・・・・・」
「ね、このサシェ、どうしたの?」
「・・・おかあさまが、くれた」
「お母様がくれたんだ。どういうふうに、くれたの」
「首にね、おまもりよって」
「うん、それから?」
「それから。頭なでなで、って。
おんなじ、香りするの、お母様」
「今、お母様の香りは?」
少女は神父の肩に顔を埋めたまま、首を振った。鼻をすすりあげては、首を振った。
何度も、何度も。
「ここじゃない」
自分の死よりも、親を求めたがため、彷徨ってしまった魂。
道に迷っても親の愛を慕い、生き続ける苦しみを、いったい彼女はどれだけ味わったのだろう。
「・・・ここじゃないところ、探しにいこうか」
首を振った。
「みつかん、なかったから、ずっと探っ・・・るのに。おかあさま、どこ?」
神父の前に居るのは、声を上げて泣く、迷子の少女。
ああ神様、どうか。
羊飼いからはぐれた仲間に、僕から、伝えられますように。
「マグノリア、」
くるしかったね、と。シェラの頬を涙がつたい落ちる。
「ずっと、そばにいてほしかったんだね」
問いかけに、ようやっと彼女は頷いた。そして泣いた。
「ねぇ、リア」
なぞなぞを掛ける時の含み笑いのような、柔らかい問いかけにリアは顔を上げ、二人はちらりと目をあわせた。
「君の香りは、何の香り?」
「まぐのりあ」
「この香りは、誰とおんなじだったかな。さっき、教えてくれたの、もう一度教えて」
「リアの」
「それから?」
「・・・・・・お母様、の?」
小さな指先が、そっとサシェを掲げる。
す、と息した口元がほころぶ。
「・・・する。おかあさまの香り、ここからする」
「・・・・・・する?」
「うん。ここから。繋がってる」
「そう。なら、もう大丈夫」
「リア、日が傾いてきた。
そろそろ、お母様のところへ帰る時間です」
「リア、道わかるよ」
神父はただ、少し微笑んで背中を押した。
「しんぷさま、ゼフォン、ばいばい」
夕日にとけていくように、ゆっくりと歩む背中を、シェラは目を細めて見送ることにした。その姿が扉の隙間からあちらへ抜けて、そうしてすぐに、消えてしまうことをわかっていたから。
せめて、見送ることぐらいは。
そして、
「リアちゃん?」
聞きなれたエミリーの声に、シェラははっと息を止めた。
咄嗟に、奥に控えていたゼフォンを振り返る。まさか、という言葉が頭の中を通り過ぎて視線を交わす。一瞬の出来事だった。
とさり、子ども一人分の体がくずれる音に、二人は躊躇なく聖堂を走った。
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