-2-
「ほらほら、子供たちが起きてしまいますよ。
私もすぐに行きますから、子供たちの仕度をお願いしていいですか?」
「でも、神父様」
不服そうな娘の顔には、さきほどついたばかりの涙のあとが残っていた。
大丈夫、と微笑んで神父は赤毛の娘を見送った。
「さて。ゼフォン、それは直してくださいますね」
神父が指差した先にはばらばらになった格子窓があった
そして、木片を被ったままうずくまる黒髪の男
動く気配のない塊に、さっきとは打って変わって冷たい声を放つ
「いつまで、教会の中にいらっしゃるつもりですか」
「あなたが許可して下さるなら」
「永遠に居られては困るのですが」
くっくっと嗤いながら、ゆらりと背を起こしたゼフォンの眉間に刻まれた皺
「それほどに邪魔ですか」
こんなに険のある顔を見るのはひさしぶりだ。
「ええ、とりあえず今は」
服についた木屑を掃って立ち上がれば、頭一つ分高い彼を見上げることになる
「直してくださったら、御礼はまた三日後に」
「楽しみにしていますよ」
楽しみな、わけがない。
翌日、子供たちに連れられて見に行ったら懺悔室ごと新調されていた
それは彼なりの反省なのだと、好意的に受け止めてやったら良いのだろうか
けれど、
うちの(孤児院の)子に手を出したからには、
許しておくわけにはいかない。
約束の日の夜は、風も雨も無い、静かに凪いだ夜だった
ドアを開けて迎えた彼の表情は、いつもどおりで
かえって、気味が悪いようで
「おや、いらっしゃらないものと思っていましたが」
知らず、身体がこわばるのを抑え、まっすぐに目をあわせた
「・・・・・・もう怖くはないですから」
「これはこれは。祝辞の一つも送らないといけませんね」
笑いながら、飄々と答えてみせる声音に誘われて彼の家に入る
「さぁ、どうぞ」
月明かりさえない暗闇の中で、彼はもう笑っていなかった
闘う時、というのは、こういう気持ちがするのかもしれない。
時々そうしてきたように、テーブルには紅茶と菓子が置いてあった
ゼフォンが引いてくれた椅子に座り、温かなカップをそっと口に運ぶ
向かいにある椅子は、空のまま。
ふわりと立ち上る湯気を追って目線を上げた
「どうしたんですか?」
「何がです?」
それなりに離れた壁に、腕を組んで寄りかかっている人影
こんな事が今までにあっただろうか
「そちらに座ればいいじゃないですか」
「ま、気乗りしない日もあるので」
声だけはいつものままだ。
半分ほどに減った紅茶をソーサーに戻す
ほどよい温もりがほどけて、手のひらで水蒸気に変わった
立ち上がって一歩、テーブルから離れる
「おや、今日は妙に積極的じゃないですか」
一歩、一歩ごと、靴音と床鳴りを足元に感じる
締め付けるような息苦しさを胸に、動かない影の前に立つ。
こつり、響く硬質の音
悪いことをしたら、神様にごめんなさいを言って、
神父様がげんこつ一つくれたら、それでおしまい。
神父様はまた笑ってお話してくれるから、悪いことしても平気。
今日、悪いことをして、シェラ流のお仕置きを受けた子が笑いながら言った。
もうしないよ、そう言いながら皆の輪の中に戻っていった。
ふと、思い出す。
「神でも、人間でもなく、自分の為だけに歌え」
彼のためになるのだろうか
なるかもしれない
それなら、どうして私はこんなに
「・・・・・・ゼフォン。あなたは、私の孤児院の子供、
リリーローズに悪いことをしましたね」
一拍の呼吸を置いて、
「否定は、いたしませんよ」
珍しく、歯切れの悪い返事がかえる
その居心地の悪さに、ため息が出た。
「そうですか。何をしたのか話していただけませんか?」
次の瞬間
ゼフォンの顔から、意志もなく、ただ言葉が落ちた。
いつもの、人を馬鹿にしたような顔でさえなかった。
「好きならば、奪え、と言ったまでですが」
シェラにはそれで十分だった
「そう、でしたか」
つまり、ゼフォンに唆されたリリーが、怒りに自分を見失って
そしてゼフォンを撲殺しようとした。
「そういう、ことでしたか」
まるで、蛇とイヴのやりとりのようだ。
リリーが賢い娘でよかった。
そして蛇には
「今日は、あなたに聞いてほしい歌があって」
イシュリエルという名の天使が、神に遣わされたという
「たまには、私がリクエストしても良いでしょう?」
その天使の傍らには
「ゼフォン」
彼と同じ名前の天使がいた
黒髪に指を通して、ゼフォンが逃げられないよう、うなじに手を添える
繰り返される口付けのたび、いつもされてきた事をやり返すように
彼の手を真似る
伏せたまま動かない無表情をかすめ、耳元に口を寄せた
「怒っていることぐらい、知っているんでしょう」
反応の無い身体、鼓動、呼吸
すべて抱えて、守るように組んだままの腕に、そっと片手を添えて揺らす
「ゼフォン、返事ぐらいして下さいと、誰かに言われませんでした?」
「歌うつもりがおありなら」
唐突に呟いた声音は、
「早く、歌っていただけませんかね」
神の前に据えられたルシファーのそれ
今、目を合わせたら
恐れが見えただろうし、畏怖も、諦めも、絶望も、
何もかもが見えるかもしれない
でも、そんなものをみたら
彼に罰なんて、与えられるわけがない
見たくない
出来ない、だってほら今でさえ
気付いてはいけない
彼の為に
こんなに身体中が痛い
どれほどそうしていただろう
はりついた喉を、ひゅう、と空気が抜ける
歌うと言ってしまった
歌えと言われた
ならば今は、ただ歌おうと思った。
彼のためになることだけを祈って、歌おうと思った。
この声は、届くだろうか。
どれほど側にいたとしても、私では届かないかもしれない。
それでも、
NEXT
page top↑
Copyright(c) vois99 all rights reserved.