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暗い空の高みから、小さな教会を見下ろす影がある。
それは飛んでいた。鳥のように、夜闇の中でその大きな翼がはためく。
明かりの灯る窓を見つめる淡い藍緑色の双眸が、僅かに細められた。
闇の中を飛ぶそれは、ばさり、と羽音を残して身を翻すと、次の瞬間夜の中に消えた。

「だから神父様、あたしはいやだ、って言ってるんです!」
若い娘の怒声が、光差す午後の教会の穏やかな空気を震わせた。
小さいがカトリック独特の装飾的な建築で、高い天井に音は勿論よく響く。
こちらの鼓膜を破らんばかりの大音声で怒鳴る娘の剣幕に苦笑しながら、神父は何とか言葉を発した。
「でも、リル、これは悪いお話じゃないと思いますよ?
マルクの家はこの村でも大きいし、彼もその、あなたのことを本当に想ってくれているみたいだし…」
娘は激しくかぶりを振った。それに合わせて、栗色の長い巻き毛が踊るように揺れた。
「いいえ!神父様はご存じないんです、マルクのやつ、小さい頃から私が嫌がることばっかりして、
もういい加減うんざり来てたトコに急にこの話なんて、絶対ふざけてるんだわ!」
「いや、そんなことはないよ。このお話はマルクのお父上が正式の私のところに持ってきてくださったから…」
「大体、それがおかしいってんですよ。本気なら私に直接言いに来いっつーの!
そんな不誠実なコトじゃ、とても応じられませんって、
神父様からあの馬鹿にいってやってくださいよ!」
「リル、そんなこと言わないで。マルクがあなたにちょっかいを出してたのは、きっと
あなたのことが気になったからで、直接言わなかったのは、あなたが
修道女(シスター)になるって言ってたから、切り出しづらかったんじゃな・・・」
「そう!そうです!私はシスターになりたいんです、マルクのお嫁さんじゃなくって!
ねえ神父様、私本当にこの教会でシスターとして、神様にお仕えしたいと思ってるんです!」
リルと呼ばれた娘は神父の言葉を遮って叫んだ。
「神父様はどーしてそれを許して下さらないんですか!?」
「どうして…って言われても、ここの修道院は何年か前に廃止になっちゃったし…」
ていうか、君はあんまり修道女にはむいてないと思う、
とは言えず神父は言葉を濁した。それでも娘は食い下がる。
「それじゃ端女(はしため)でも何でもいいです!孤児院の子たちの面倒だってちゃんとみます!
だからここにおいて下さい!!」
頑として譲る気配を見せない娘を前に、神父は大きなため息をついた。

 娘は名前をリリーローズと言う。
年は十六、教会の敷地内にある孤児院の最年長として子供たちの面倒をよく見る
良いお姉さんなのだが、いかんせん気の強い娘である。
今回の突然の縁談には無理があるだろうことは予想していた。しかし、そうは言っても、
神父はこの娘が修道女のなるということに関してはあまり賛成できないのも本当だった。
勝気で活発、男勝りで言葉もどちらかというと乱暴なため、という消極的な理由もあるが、
それよりも娘を見ていて、この子は修道女として一生を神に捧げるよりは、
ほかの娘と同じように、良き夫を得て、子を産み、普通の暮らしをしたほうが幸せになれるだろうと神父は感じていたからだった。
娘には、そう思わせるような家庭的というか、どこか肝っ玉母さん的な印象があった。
だからこそ孤児院の子供たちを上手くまとめ上げているのだろう。

 というようなことを娘に告げたところで、娘の決心の揺るごうハズもないことは神父もよく心得ていた。
しかし今回はそう言ってもいられない。縁談を断る以上は、その理由と娘の今後をはっきりさせなければならない。
「ねえリル、それじゃああなたは本当にシスターになりたいんだね?
それはマルクとの結婚がいやだからって言うわけじゃなくて。」
「勿論です!その話が出るずっと前から、
私がシスター志望だったこと、神父様だってご存知でしょう!?」
「ええ、確かに、そうでしたね。あなたは昔からシスターになりたいと
言ってくれていました。このお話は、リルは修道院に入るので、
と言ってお断りすることにしましょう。
・・・となると次はあなたのこの先のコトですね、リル。
シスターになるのなら、まず隣町の教会付属の修道院に、アスピラントとして受け入れて頂く
許可を得なければなりません。そのことはあなたも解っていますね?」
 神父がリルの顔を覗き込んだ。が、リルは俯いて黙り込んでしまった。
「リル?」
「・・・ここじゃ、駄目なんですか?」
「え?」
「この教会じゃ、アスピラントに、シスターになれないんですか?」
「ああ、ええ。ここの教会は小さいですからね、
あなたは小さかったから覚えていないかなぁ、修道院が廃止になったときのコト」
 神父とリリーの居るこの村の教会は小さい。ただでさえ辺鄙な
村の更に外れに位置しているのに加えて、村自体も過疎が進み、修道院は七年前に
大分離れた隣町の教会付属の修道院と併合されたのだった。
「七年前だからあの時あなたは九歳・・・」
「神父様はまだ修道士で十八歳でした!九歳のときのコトくらい覚えてますよ。」
「そうですよね、これは失礼しました。それなら、あなたもご存知でしょう。
ここにはもう、修道院が無いんです。だから、隣町に行かないと。
大丈夫ですよ、あちらにはあなたの知ってるシスターもいらっしゃるわけですし。」
神父はそう言ってリリーに向かって天使の笑顔で微笑みかけた。
僅かに首を傾げると、柔らかな金色の、くせのある髪が肩の辺りで揺れた。
 しかしそんな神父とは対照的に、リリーは表情を曇らせた。
そして、ぼそり、と呟く。
「わたし、あのシスター方って嫌いなんですよね。」
 シスターといえば、西洋にあっては厳しく、怖いというイメージがある。
そのイメージそのままに、リリーたち孤児の世話をしていたシスターな厳格そのものであり、
子供たちは彼女らを敬遠していたのは事実だった。
「あの人たちが居なくなって、代わりに修道士だった神父様が面倒みて下さるようになったとき、
私たち、あの人は天の御使いだーって皆で言ってたんですよ。そのくらいシスターっておっかないんです。
そんな人たちの中に一人で行くだなんて!考えただけでもぞっとするわ。」
これを聞いて神父はその柳眉を顰めた。
「ああ、リル、そんな言い方をしてはシスター方に失礼です。
確かに、シスター方には厳しくて、いつも怒っているようで、
冷たくて意地の悪い方も少しは、いえ、結構大勢いらっしゃいますけど、それも多分、
私たちのコトを思って、時には、厳しい罰をお与えになったりとか、して・・・」
神父の言葉は切れ切れになり、最後の方は聞き取れなかった。
全くフォローになっていない。
「・・・神父様?」
リリーが怪訝そうに神父の顔を見れば、床に視線を落とすその顔は、心なしか蒼ざめている。
「えっ!?あっ、いえ、その、
ちょっと昔のコトを・・・思い出しまして・・・すみません・・・・・・」
「いいえ、神父様、あなたになら解って頂けるかと。
私たちみたいなのは、シスターにまつわるいやな思い出の一つや二つ、あるものですよね。」
「・・・・・・。」
神父もまた、孤児だった。

 「・・・でも、リル、シスターになりたいのなら、やはりその修道院に行かなくては。」
神父は顔を上げ、リルを正面から見てきっぱりと言った。
それでもリルはまだ何か言いたげな様子で目を逸らした。
「・・・・・・それじゃ、端女になって、この教会のお掃除とか、
孤児院の皆のお世話をしたら、私ここに居られますか?」
神父の方を見ないままで、リルは小さく言葉を発した。これを聞いて、神父は驚いた様子で問い返す。
「しかし、それではシスターにはなれないんですよ?
それに、この教会は端女なんて大仰なコトを言うほど大きくないですし・・・」
困ったように苦笑を浮かべる神父の目を、急に顔を上げたリルの深いブラウンの瞳が捉えた。
「違います!私ホントはシスターになりたいんじゃありません!!
いえ、なりたいですけど!それよりも何よりも私、ここに、
この教会に居たいんです!!」
ひたと此方を見据えるリルの目には、強い光が宿り、神父は一瞬言葉に詰まった。
その瞳には、簡単には曲げられない決意と、切実な願いのようなものが感じられた。
「リル、それは」
「お嫁に行くのはいや!遠くの町へ行くのもいや!
お手当てなんか要りません!だからどうか神父様、私をここに置いてください!!
どこにも行きたくなんかないんです!!」
そう叫ぶように訴えるリルの目には涙が浮かんでいた。神父は、何故に
彼女がそこまでこの教会にこだわるのかを測りかねて、当惑した表情でリルを見つめた。
「ここは、小さな教会です。
あなたは、ここから外の世界へ出た方が、きっと幸せになれる。時々、ここへも帰ってくれば良い。
それでは、いけないんですか・・・?」
「いいえ!私、ここが良いんです!!」
「ああ、リル、私は、あなたに幸せになって欲しいのです。
この教会では、十分なことをしてあげられない。食べるものも、着るものも、
外へ出た方がきちんとしたものが得られるんです。どうか解ってください」
「解ってくれないのは神父様の方だわ!!何にも解ってないんだから!
ばかっ!神父様のばかぁっ!!」
「あっ、リル!‘ばか‘は使っちゃいけない言葉だって教えたでしょう!
ちょっと、待ちなさい、リル!!」
 神父の呼びかけを無視して、リルは教会を飛び出していった。
勢い良く開け放たれた扉の片方がゆっくりと閉まりかけ、
神父が見ている前で、閉まり切らずに、落ちて、倒れた。
ああそういえば、あっちの扉もう大分かすがいが傷んでいたっけ、と、
呆然とする頭の隅をどうでも良い考えが過った。
それと同時に、倒れた扉の向こう側に佇む人影に気付いた。

「・・・ああ、ゼフォン。あなたでしたか。」
「お取り込み中のようなので、表で待たせて頂いていたら、急にリリーローズ嬢が飛び出していらっしゃいましてね。
まあ話の流れからこうなるだろうなと予想は出来たので、扉にぶつかることはありませんでしたのでご心配なく。
あ、これ今日の分の。」
ゼフォンと呼ばれた青年は神父に野菜の入った籠を差し出した。
神父はそれを見て、一瞬、微かに顔を曇らせたが、すぐに小さく「ありがとうございます」と
淡々とした口調で礼を述べて受け取った。
「いつ誰があなたの心配をしましたか。
話の流れって、あなた一体どこから聞いていたんです?」
受け取った籠を祭壇の横の机に置きながら、神父は青年に尋ねた。
「そうですねぇ、
リリーローズ嬢がマルクとの縁談はいやだと言っていた辺りからですかね」
青年は祭壇に近づくと、屈んで飾ってあった白い百合に手を添え、花に目を向けたまま返事をした。
青年は、神父と同じ位の年齢であるようにみえた。
背が高く、肌の色は白いが、髪はこの辺りでは珍しい漆黒。
長い前髪が顔にかかり良く見えないが、その瞳は黒に近い、深い碧色であるらしい。
神父が青年に向き直って、ため息混じりに言う。
「呆れましたね、殆ど全部じゃないですか。
彼女の個人的なことなんです。立ち聞きは、余り良い趣味とも思えませんが。」
青年は神父の方へ視線だけ向けると、唇の端に僅かに笑みを乗せたまま答えた。
「これは失礼を。申し訳ありません、以後気をつけましょう。」
慇懃な言葉に、神父は再度ため息をこぼして、祭壇に一番近い長椅子に腰掛けた。
本当は悪かったなんて、これっぽっちも思っていないに違いない。むしろ面白がっている。
この男は、そういう男だ。
長い付き合い、重々承知している。
「それはそうと、今日はお約束の日です。覚えていらっしゃいますね?」
青年が体を起こし、振り返って神父にゆっくりと歩み寄った。正面に立って
見下ろすと、神父もこちらを見上げてくる。
その緑がかった淡いブルーの瞳に、感情は読み取れない。
「ええ、今日でまた三日目、あなたの差し入れには助かってます。
育ち盛りの子たちが大勢居ますから。
今日、またお礼に伺います。」
そう言って神父は視線を膝に落とした。
 小さな教会で寄付も少ないため、孤児院の子供たちの食事を賄うのは 中々に難しい。
そんな中、この神父がゼフォンと呼ぶ青年は、毎日欠かさず食べ物や生活用品を届けてくれる。
それは大変有難い。有難いのは本当だ。だから神父は三日に一度、ゼフォンの家を訪れる。
子供たちを寝かせてから、夜半、出掛けて行く。
そして、ゼフォンの望む礼を贈る。

俯いた神父を見て、青年は面白そうに笑った。そして膝を折って、
神父の前に跪くと、その手を取り、顔を覗き込んだ。
「ええ、ありがとうございます」
 神父は、その返礼の日が好きではなかった。自分に求められる行為も。
海よりも深い紺碧の瞳が、僅かに揺れる空の蒼の瞳を捉える。
「それではまた今夜、」
 出来ることなら、
青年が、神父の手に口付けを落とした。
「楽しみにしていますよ。」
 行きたくない。




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